Khohey Fujie 藤江効平


  制作について

 私の制作のテーマを一言で言うなら ‘身体’ だろう。作るという行為を通して‘世界−身体−精神'を行き来する、もしくは結ぶという作り手としてあたりまえの行為が制作の重要なものとなっている。顔や人物をモチーフにするのも、身体(顔)が社会と私とのインターフェイスであるからである。私は、身体を介せずに‘私’と‘社会’がつながることに疑問があり、その疑問の答えを見出したくて制作を続けているような気がする。   2004年12月

 私は教師になってから、教えることはとてもアーティスティックで美術に似ているように思うようになった。私が安くて使いやすく誰でも触れたことがあるクレヨンを素材として制作することは、私にとってとても有意義なことだ。   2005年8月

 クレヨン・ワークについて

 手に近いクレヨンという素材は、制作において‘身体’をかんじさせてくれるものだ。たくさん線を引かされ、また直接負荷を感じさせてくれる。私は、クレヨンで線を引く行為を重視した作品を‘クレヨンワーク’と呼ぶことにした。クレヨン・ワークは、線を引く行為を重視した作品であり、平面・立体・インスタレーションなど多岐の表現手段が可能であること。この二点の理由から他のペインティングとの混同を避けるため、こう呼ぶことにした。
 たくさんの言葉から詩が作られるように、線の集積から力強い魂のようなものを感じさせたい。
  2004年12月

  個展クレヨン・ワークの記事

 板を素材にした合計5体のインスタレーション。表面はクレヨンによる縦のラインの集積である。温かみのある色彩が人の形をしてたっている印象だ。
 ----中略---- 「本当の自分の顔はどんなだろうか」という作家のテーマは「身体」である。指先に力を入れるときに濃厚に身体を感じるというクレヨンを好んで使う。思い切った線の数々が、人の表情のような微妙な陰影をつくる。
 板は、雲や水を思わせる丸みを帯びた形状だ。立ち上がったゾウや、戯れるイルカなど、どれも流線型の大きな生き物を連想させる。一見ヒトには似ていないが、各部分に封じ込まれた体の気配が、過去に遭遇した人々のしぐさや行為を思い起こさせる。
 たたきつけるような雨のようなクレヨン独特の力強い線が、板を重ねた作品群に堅牢感をもたらす。インスタレーションではあるが、タブローでもあり、彫刻とも言える。荒削りであるがワクに収まらない形が新鮮に映る。
 ----末尾略----
     2004年(平成16年)1月30日金曜日付 毎日新聞 夕刊
      「文化 批評と表現」欄 「美術」 米本浩二


Top 作品紹介
作品も見てね